○○が欠乏してくるとなりやすい、「多発性神経炎」は!? | 【足のつり改善なら】アトラス整体院
ビタミンB1が欠乏して起こる【ビタミンB1欠乏症】の弊害として、「多発性神経炎」があります。
日常的にあまり馴染みのないこの名前ですが、実はこれ【脚気】のことなんです。
かつて、脚気は「結核」と並ぶくらいの「死に至る病」でした。
近年では、わが国の社会経済的な基盤も揺らいでおり「自殺者は3万人台を超えてしまう」ほどの、大きな社会的不安となりつつありますが、1925年(大正15年)の時には、「脚気による死者数が3万人近くのピークに達し、深刻化」したことがあります。
現在と違い、【大正時代の人口数で考えると、脚気で亡くなる病人の数は大変だった】はずです。
症状としては、全身の倦怠感、知覚過敏、手足のしびれや歩行障害などを伴い、悪化すると心臓肥大、呼吸困難などの循環器不全に陥り、ショック状態で死に至ってしまいます。
大陸から稲作が日本に伝来したのは、「縄文時代の終わり頃の紀元前4世紀頃」と言われていますが、【この時代には、白米ではなく玄米を食べていた】ため、脚気にかかる人はいませんでした。
アジアの各地で白米を食べるようになったのは、【18~19世紀頃】と考えられています。
日本で脚気が流行し始めたのは、【江戸から明治にかけてのことで、当時は「江戸わずらい」と呼び、江戸の風土病のように思われていた】そうです。
それは、貧しい農民たちが麦や粟、ひえなどの雑穀を主食としていたのに対して、江戸一帯にかけては白米を主食とする習慣が広まっており、脚気の流行を招く結果となっていたためです。
ちなみに、江戸に出た農村の若者が白米主食の食事で脚気になってしまったとしても、「故郷に帰り雑穀主食の食事に戻ると、脚気が治ってしまう」という事もあったようです。
明治時代に入ると、脚気はさらに蔓延し、
「結核と並ぶ二大国民病」
とさえ呼ばれるようになり、年間1万人もの死者を出し続けることに…。
特に【日本海軍の被害が甚大】で、272日間の航海で脚気患者が376名中169名にもなり、そのうち25名が死亡したという記録も残っています。
これを踏まえて海軍では、【脚気の予防】として当時あまり馴染みのなかった「カレー」を海軍の食事に取り入れることになったようです。
ちなみに、後にビタミンB1と命名されることになる物質を最初に発見したのは、戦前の日本の農芸化学者である「鈴木梅太郎」氏です。
氏は、糠と麦、玄米には脚気を予防して回復させる成分があることを発見し、米ぬかから脚気予防因子の結晶を取り出すことに成功し、「オリザニン」と命名しましたが、【発表した論文がドイツ語に翻訳される際の手違いのために、第一発見者としての名声は日本国内だけ】に止まってしまいました。
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